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更新履歴、拍手の返信、時に明星について鬱陶しいほど語ってみる
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 ここのところすっかりオリジナルの世話ばっかりしててご無沙汰でした。
 ちょっと一段落つきつつあるので気分転換がてらに裏話を書きに来ました。いつも通り後書きじゃやらなかったよもやま話をやりますよー。
 あ、でも、今回ちょっとだけ説教臭い話が入るかも。「原典なんか知るかボケぇ」という主義主張の人は、ぶっちゃけ読まない方がいいです。
 気になっちゃったあなたは下記からゴー!


 の、前に。
 拍手ありがとうございました!


 ではいつも通りにこの話から!

 ・メインタイトル、及び各話タイトルについて

 先にメインタイトルから。
『浪子』は、明星では出てきませんでしたが、燕青の渾名です。意味は「遊び人」とか「放蕩者」とか「プレイボーイ」とか、そんな感じらしいよ。ちなみにまったくもってどうでもいい話だけど、アホ皇帝・徽宗も即位前は浪子と呼ばれてたらしいよ。
 実は、構想の段階ではタイトルは『浪子』ではなく『飛燕翔青』といいました。色んなものに縛られていた燕青が自由になる、というイメージで。
 が、そんなタイトルでいいのかとふと疑問が頭をもたげ。

簾屋(これは、燕青の、燕青のための物語。となれば、タイトルはもっと直截な方がいい)

 そう判断して、『浪子』にチェンジとなりました。
 各話タイトルについて。
 大体お気付きの方もいるでしょうが、モチーフは全部鳥です。
 というか、この物語は全体的に「燕青=鳥」として書いています。燕青が作中で使う技も、某Y様からいただいた技名をヒントに鳥モチーフで考えました。そういえば朱貴っちゃんの技は極楽鳥に鳥籠だったね、という事実にUpしてから気付いたけれど気にしない。
 ちなみにプロット段階で決まっていた各話タイトルは、一話『籠住まい』、六話『飛燕』、七話『渡りへ』の三つだけでした。四話のタイトルなんか書き上げてからも決まらなかった。まあ、今回はいつもと大分様子が違ったのですが。


 ・キャラについて

 燕青、小五、戴宗、盧俊義の四人は後書きである程度語ったので割愛。
 語り忘れていた人たちについて。
 呉用先生。盧俊義勧誘作戦で占い師に扮して大名府まで行くのは原典そのままです。が、連れていくのは実はあのリッキーだったりする。いくら何でもリッキーはないでしょ呉用先生。けれどだからといってどうして戴宗さんを連れていくの呉用先生。
 晁蓋さんと宋江さん。二人仲良く頭領をやってます。一年で随分情勢が変わったなぁおい。この一年間で青州事件とか江州事件とかが発生したのか?
 小二兄ィ。兄ィの能力はサーフィン系でよろしく。
 小七ちゃん。相変わらず影が薄いけど登場。作中では言及しませんでしたが、方臘戦では小五だけでなく小二兄ィもお亡くなりになってます(しかも小二兄ィは自殺)。三兄弟の中で一人だけ生き残ってしまった小七ちゃんに皆涙するといい。


 ・プロットについて

 実は今回、ろくに組まずに書きました。
 更に、最初は四話編成のつもりでした。
 第一話のあと、いきなり第五話が来る予定でいました。
 でもさすがに盧俊義小父さん加入にまつわる一連の事件をばっさり削除するのはいくら何でも乱暴すぎると思い、気が付けばこんなに長くなりました。
 プロットはちゃんと組もうね、という話。


 ・ストーリーについて

 今回、ツイッター上にてリアルタイムで感想を貰えて何が一番楽しかったかって、皆さんの第六話の感想でしたね。あっはっは、皆ビビッたろう! 皆さんの驚きで物書き・簾屋は生きています。
 これは後書きでも書きましたが、『浪子』はあの展開が出来ると原典で確認できた瞬間に書く事が決定しました。だってさ、押しも押されもせぬ公式であんな展開やられちゃったら、書くしかないでしょ?

『浪子』の替天行道はまさかの抗金ルートになりましたが、本当は『岳飛伝』の蛇山ルートにしようかと思ってました(詳細はこちら)。

盧俊義「燕青君、これからどこ行くの?」
 燕青「とりあえず南に行きますよ。同志の中で何人か集まってるみたいですし」

 ってな感じで。
 ちなみにこれだと『水滸後伝』ルートも無理なく入れます。みんなでシャムに行けばいいじゃない。大丈夫、三代目頭領は天寿星だから星の能力はきっと脅威の死亡フラグクラッシャーだ!(でもそもそも明星に天寿星の人は出てきてない)(って言うか原典しか読んでない人、原典さえも読んでない人は、「三代目」の意味が解るまい)

 燕青の前半生を随分駆け足で描きました。
 けど、実は描ききれていない部分があります。確信犯で書かなかった部分です。具体的には、燕青が盧俊儀に引き取られたその時に何があったか、です。
 その辺りは全部盧俊義番外編で書きます。ちょっと病んだ盧俊義小父さんが拝めるよ!


 ・羅貫中先生と施耐庵先生について

 では、ちょっと説教臭い事を喋ります。
 そういうのが嫌な人は、ブラウザバック推奨。









 羅貫中先生と施耐庵先生。
 誰だかは言うまでもありませんね。水滸伝の編者です。
 水滸伝は元々講談でした。講談師によって語られる水のほとりの物語をまとめ、文字にしたのが羅貫中先生もしくは施耐庵先生です。
 もしくは、とは何ぞや? 実を言うとどちらが水滸伝をまとめ、今の形にしたのかがはっきりした事は分かっていないのです。羅貫中、施耐庵、このお二方が実在していたかも実はあやふや。この二つの名前は、「実は複数人が共有していたPNでは」という説もあるほど。
 水滸伝の作者で確実なのは、七十回本の金聖嘆先生だけ。でも日本における水滸伝は基本的に百回本・百二十回本なので、ここでは割愛します。

 さて、私は更新中、ずっと更新履歴に「羅貫中・施耐庵両先生に拝礼」と書いてまいりました。
 何故か? それは、私たち明星二次創作書き、いえ、水滸伝に関わる創作に携わる者たちは皆、両先生に感謝しなければいけないからです。
 水滸伝の原型は講談でした。
 講談師によって語られる物語でした。
 それはつまり、その場限りの物語として、すぐに消えてしまう運命にあったものです。
 そんな水滸伝の世界に、何故現代人の私たちが触れる事が出来るか。
 ――言うまでもありませんね。羅貫中・施耐庵両先生が、文字化し、残してくれたからです。
 お二人が残してくださらなければ、金聖嘆先生が七十回本を書く事もなく、陳忱先生が水滸後伝を書く事もなく、滝沢馬琴先生が傾城水滸(脅威の一〇八星性別反転水滸)を書く事も南総里見八犬伝を書く事もなかった。
 私たち現代に生きる者が、吉川訳百回本を読む事も駒田訳百二十回本を読む事も叶わなかった。
 お二人がいなければ、北方水滸も生まれなかった。
 絵巻水滸も生まれなかった。
 そして、そう、言うまでもないですね。

 AKABOSHIだって、生まれてこなかったんです。

 だからこそ私は両先生に拝礼をします。
 私にAKABOSHIという作品と出会うその根本的な機会をくださった、水滸伝という素晴らしい物語を遺してくださった両先生にどこまでも感謝の念を捧げます。

 だから、明星スキーの皆さん。
「明星しか読んだ事ないよ」「明星から北水に入ったけど原典は読んでないよ」という皆さん。

 原典を、読みましょう。
 洋一にAKABOSHIという物語を考えつかせた原典を、読みましょう。
 原典を読み、「ああ、洋一はここの話をどう描く気でいたのかなぁ」とか「洋一が描くこのキャラ見たかったー!」とか考えましょう。

 原典を、読みましょう。
 そこにある豊饒な物語に触れましょう。
 北方水滸を読んだだけで水滸伝を読んだと思うな!
「原典? そんなの知らね」とか思うな!
 学んでも学んでもまだ足りない、学べば学ぶほど自分の足りなさを自覚せざるを得ない底なし沼のような水滸伝に、皆、はまりやがれ!


 あー、言いたい事を言った言った。
 明星二次をやる人で原典読んでる人が少ないので(私が確認している限り、多分私と某C様だけではないかと。いや、某M様も読んでいらしたか?)、原典布教をしてみた。
 原典読めば『浪子』みたいなトンデモ話が書けるよ! というわけで、とりあえず『浪子』裏話、これにて一応閉幕!
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