更新履歴、拍手の返信、時に明星について鬱陶しいほど語ってみる
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ぃよっしゃ『ファントムペイン』第二稿脱稿――――!
というわけで更新予告! 今週中に戴宗+小五中編『ファントムペイン』、始めるよ! っていうかこれ、戴宗×小五にしてもよくね!? 私はいいと思うんだよね、なんかこう、古い友達の戴宗を大切に思いまくってる小五とかすっげぇ萌えるんだけど!
……あー、すみません。脱稿がついさっきの事でしたから、テンションが軽くおかしくなってます。ところで『ファントムペン』を書いて気付いたんですが、簾屋は小五に凄まじいまでの夢を見ています。上げた暁には、どうかその辺りを笑ってやってください。
で、本日は一週間以上前に読み終えておきながら感想を書く暇がなかった、水滸スキーの中では色々言われている現地の水滸系二次『水滸新伝』の感想を。
でもその先に、『水滸新伝』とは何ぞや、というお話を。
昔々、と言ってもちょっと前の中国に、褚同慶(ちょ・どうけい)というお人がおりました。
この人は結構コアな水滸スキーだったのですが、水滸スキーな余り、原典のあれやこれに納得が行かなくなりました。
例えば、
「何で女子がこんなに少ないんじゃあ!」
とか、
「何で武松が牢屋に入ったのに張青がお見舞いに来んのじゃあ!」
とか、
「何で穆弘がこんなに出番少ないんじゃあ!」
とか
「何でこんな雑魚が天コウでこいつが地サツなんじゃあ!」
とか、
「何で強くて綺麗な扈三娘がチビで弱い王英の嫁になっちまうんじゃあ!」
とか。
そこは言わないお約束、という声は褚同慶先生には通じない。先生はとうとうやってしまわれた。そう、ご自分なりの水滸伝!
それがこの『水滸新伝』。
この『水滸新伝』の特徴は、
・褚同慶先生の趣味によって、女性好漢追加
・褚同慶先生の趣味によって、このために好漢の座から追われた好漢が数名
・褚同慶先生の趣味によって、好漢内の血縁関係がドラスティックに改変。改変しすぎてもう訳が分からない
・褚同慶先生の趣味によって、天コウと地サツが一部入れ替え
・褚同慶先生の趣味によって、原典では影の薄いあんな人やこんな人が意外に大活躍
・褚同慶先生の趣味によって、水滸の不自然なあれやこれが色々改変
・褚同慶先生の趣味によって、扈三娘は王英の嫁にならない
・褚同慶先生の趣味によって、遼の侵攻イベントが途中で発生
・褚同慶先生の趣味によって、エンディングがあんな事に……
などなど、原典を読んでいると中々どうして楽しい事が満載です。
この本、日本語訳のタイトルは『新・水滸伝』です。出版社は光栄、訳者は今戸榮一。ただこれ、ただの「訳」じゃなくて「訳編」って書いてあるのが気になるなぁ。
この本、簾屋は結構楽しく読みました。もし地元の図書館に所蔵などがあれば、是非読まれる事をお勧めします。ただし、読む前に必ず原典(最低でも百回本)を読みましょう。原典を読んでいた方が、もっともっと面白くなります。
さて、ここから感想を始めます。
ここから先ネタバレ満載なので、ここまでの文章で読んでみようと思われた方は、この先に進まない事をお勧めします。
特に読む予定がなく、「え、何それ、どんな事になっちゃってんの!?」なんて思ったあなたは先に進んじゃいましょう。
というわけで更新予告! 今週中に戴宗+小五中編『ファントムペイン』、始めるよ! っていうかこれ、戴宗×小五にしてもよくね!? 私はいいと思うんだよね、なんかこう、古い友達の戴宗を大切に思いまくってる小五とかすっげぇ萌えるんだけど!
……あー、すみません。脱稿がついさっきの事でしたから、テンションが軽くおかしくなってます。ところで『ファントムペン』を書いて気付いたんですが、簾屋は小五に凄まじいまでの夢を見ています。上げた暁には、どうかその辺りを笑ってやってください。
で、本日は一週間以上前に読み終えておきながら感想を書く暇がなかった、水滸スキーの中では色々言われている現地の水滸系二次『水滸新伝』の感想を。
でもその先に、『水滸新伝』とは何ぞや、というお話を。
昔々、と言ってもちょっと前の中国に、褚同慶(ちょ・どうけい)というお人がおりました。
この人は結構コアな水滸スキーだったのですが、水滸スキーな余り、原典のあれやこれに納得が行かなくなりました。
例えば、
「何で女子がこんなに少ないんじゃあ!」
とか、
「何で武松が牢屋に入ったのに張青がお見舞いに来んのじゃあ!」
とか、
「何で穆弘がこんなに出番少ないんじゃあ!」
とか
「何でこんな雑魚が天コウでこいつが地サツなんじゃあ!」
とか、
「何で強くて綺麗な扈三娘がチビで弱い王英の嫁になっちまうんじゃあ!」
とか。
そこは言わないお約束、という声は褚同慶先生には通じない。先生はとうとうやってしまわれた。そう、ご自分なりの水滸伝!
それがこの『水滸新伝』。
この『水滸新伝』の特徴は、
・褚同慶先生の趣味によって、女性好漢追加
・褚同慶先生の趣味によって、このために好漢の座から追われた好漢が数名
・褚同慶先生の趣味によって、好漢内の血縁関係がドラスティックに改変。改変しすぎてもう訳が分からない
・褚同慶先生の趣味によって、天コウと地サツが一部入れ替え
・褚同慶先生の趣味によって、原典では影の薄いあんな人やこんな人が意外に大活躍
・褚同慶先生の趣味によって、水滸の不自然なあれやこれが色々改変
・褚同慶先生の趣味によって、扈三娘は王英の嫁にならない
・褚同慶先生の趣味によって、遼の侵攻イベントが途中で発生
・褚同慶先生の趣味によって、エンディングがあんな事に……
などなど、原典を読んでいると中々どうして楽しい事が満載です。
この本、日本語訳のタイトルは『新・水滸伝』です。出版社は光栄、訳者は今戸榮一。ただこれ、ただの「訳」じゃなくて「訳編」って書いてあるのが気になるなぁ。
この本、簾屋は結構楽しく読みました。もし地元の図書館に所蔵などがあれば、是非読まれる事をお勧めします。ただし、読む前に必ず原典(最低でも百回本)を読みましょう。原典を読んでいた方が、もっともっと面白くなります。
さて、ここから感想を始めます。
ここから先ネタバレ満載なので、ここまでの文章で読んでみようと思われた方は、この先に進まない事をお勧めします。
特に読む予定がなく、「え、何それ、どんな事になっちゃってんの!?」なんて思ったあなたは先に進んじゃいましょう。
イベントごとに突っ込んでいくととんでもない事になるので、キャラごとに突っ込んでいきます。
・項充
何故原典では地サツだったお前が天コウに昇格しているのか。
何故原典ではリッキーのお供の一人だったお前が私の李俊さんの地位=水軍総隊長の座を奪っているのか。
何故原典ではモブ好漢の一人だったお前が、晁蓋さんの従妹・晁小妹の亭主になっているのか。
何故だ、何故だ項充このリア充め! 何故貴様が李俊さんを喰ってそこまで活躍しやがってるんだこのヤロー!
いや、解っている。何故李俊さんが降格の憂き目に遭ってお前が大出世を遂げたのか、私はおぼろげながら理解している。
それは要するに、綽名の問題だと思うのです。
晁蓋さんの綽名は、托塔天王。
項充の綽名は、八臂ナタ(漢字出ねぇ)。
李俊さんの綽名は、混江龍。
さて、ここで少し関わってくるのが『封神演義』。
項充の綽名の「ナタ」は、『封神』に出てくるナタクの事。そして托塔天王というのは、ナタクの父親・李靖の事です。
で、『封神』の物語の一つに、ナタクが龍王を張り倒す話があります。
となると、『封神演義』を踏まえてのこの三人の綽名のヒエラルキーは、
托塔天王(晁蓋)
↓
八臂ナタ(項充)
↓
混江龍(李俊)
という形になります。もっと言えば、綽名の上では晁蓋と項充は親密な関係にある、という事です。
つまりこれが、『水滸新伝』における項充の出世と晁蓋の妹(中国では従兄弟は兄弟同然に扱う、という風習があるらしいです)との結婚に至った原因ではないか――と、簾屋は見ています。というか、これ以外に項充の出世の理由が分からない。
こんな事で私の李俊さん(お前の、じゃねぇ)が降格の憂き目に遭ったのか――と嘆くのはまだ早い。続きは李俊さんの項で。
・花栄
ただでさえ原典でひいきされているのにここでもひいき。もうどうしたいんですか、花知寨。そんなに活躍したいんですか?
しかし原典では宋大兄親衛隊隊長だった貴方が『水滸新伝』ではまさかの展開に簾屋はビックリでした。そして貴方の奥様も百八人に仲間入りしてしまった事が更に驚きです。
・孫立
活躍が評価される孫立小父さんなんて孫立小父さんじゃない。
天コウ三十六員に入ってしまった孫立小父さんなんて孫立小父さんじゃない。
孫立小父さんはね、「何でこの人地サツなの!?」ってぐらいがちょうどいいの! 地サツのくせして天コウの解珍・解宝よりずっと活躍しているのに、その活躍が微妙に評価されないのがいいの! 目立たず派手さを追い求めず、地味だけど仕事をしっかりこなしてちゃっかり生き残る、そんな孫立小父さんが簾屋は大好きなの!
だからこの孫立小父さんは孫立小父さんじゃない! こんな、原典の関勝か呼延灼を思い起こさせる孫立小父さんなんて孫立小父さんじゃない! でもって楽大娘子お姉様が嫁じゃない孫立小父さんなんて孫立小父さんじゃないんだバカヤロー!
・呼延灼
若造の呼延を私は呼延とは認めない。
連環馬をやらない呼延を私は呼延とは認めない。
じゃあお前は誰だ、呼延灼を騙るそこの若造。……そうか、鈺君(呼延鈺=『水滸後伝』に登場する呼延灼の息子)か。それならしょうがないなぁ。
・関勝
で、何でお前が連環馬やってる大刀。
・董平
こいつが扈三娘と結婚するんですよ。
褚同慶先生曰く、「王英と扈三娘が結婚するなんてまるで出来の悪い冗談だ」。――馬鹿野郎! 冴えない男と佳人が結婚する、そこにどんなドラマがあるのか想像するのが醍醐味なんだろうが! 才子佳人のカップルなんてそれこそ対して面白くもないわ!
DQNじゃない董平なんて董平じゃないやい(それじゃあ簾屋式董平女将軍はどうなるのさ)(性別転換は話が別ですよ)。
・張清
私は張清の嫁は瓊英さん以外認めない。でも瓊英さんは百二十回本オンリーの方なので、新伝では出てこないのだった。悲しいなぁ。
・李立
原典では地サツだったのに、何故か華麗に天コウに出世。
そして何故か李俊さんの実弟に昇格。
おまけに兄の李俊さんより活躍している。
……よしそこに座れ催命判官。お前どういうつもりだ原典じゃただの酒店経営者のくせして!
・李俊
愛してます。いや違うそうじゃなくて。
原典じゃ掲揚三覇の一人のはずなのに、三覇から外れて前歴は「とある湖の漁師」。
原典じゃ水軍総隊長なのに、何故か項充にその座を奪われ水軍頭領の一人に。
しかも原典よりも席次が下がってしまわれて。
何ですか褚同慶先生、李俊さんが嫌いなんですか? というか李俊さんがひいきされている水滸二次物は絵巻だけという話ですか? となると李俊さんスキーな私としてはもう絵巻買うしかないとかそういう話ですか? でも絵巻の李俊さんはひいきされすぎて私としてはもう少し抑えてほしいと言うか何と言うか。
おっといけねぇ絵巻の話じゃねぇや。
さてそんな不遇の李俊さんですが、簾屋的にちょっと萌えたのがしょっぱなから妻帯者だった事。
奥様がいらっしゃいましたね李俊さん。梁山泊の危機の時、奥様も戦ってらっしゃいましたね。奥様もそこそこ強い、という脳内補整をしてしまってもよろしいでしょうか李俊さん。ところでお子さんはいらっしゃいますか李俊さん。簾屋は妻子持ちに萌える変な萌えを持っています。
そして原典でも最後にシャムの王様になった通り、貴方はやっぱり最後の最後で一つの島の主になった。素敵です李俊さん。さすが公式勝ち組。
で、この人の性格付けが「穏和で目上の者の言う事をよく聞く」ってなってるんですが、これは一体誰の事でしょう?
・徐寧
簾屋は好漢の中で徐寧さんが結構好きなのですが、『水滸新伝』の徐寧さんは余り好きじゃありません。というか、「こんな徐寧さんなんて私の好きな徐寧さんじゃないやい!」と叫びたい気持ちでいっぱいです。
何故か、と言うと、この人、宋江さんの招安病に迎合してそのお手伝いを率先してしちゃうんですよねー……。
まあ、確かに徐寧さんは騙されて山に登った人ですからね、百八人の中でも招安を待ちわびる気持ちが強い方なのかもしれません。
でも、ねぇ……私としては、徐寧さんには林冲さんととっても仲良しで「招安? そんなの今更ゴメンだよ」と林冲さんと二人で笑ってほしいんですが……駄目ですかねぇ。
・林冲
死んじゃ駄目ー!
・呉用
首くくっちゃ駄目ー!
・戴宗
足斬っちゃ駄目だよ院長ー!
・宋江
何故誰もこいつを殺そうとしないのか。
理由は分かっている。こいつの掲げる招安は、投降系軍人連中も望むものだからだ。つまり、宋江以下招安派には孫立や関勝といった強い力を持つ武人が揃い、いくら反招安派に花和尚や林冲など梁山泊を代表する好漢がいても、宋江を倒すとなると梁山泊が真っ二つに割れて血の雨が降らざるを得ないからだ。さすがの呉軍師も、宋江に変わる新たなカリスマを得ないままそれに踏み切る勇気はなかった。そういう事なのだ。
――というわけで、『水滸新伝』では宋江が招安招安と馬鹿の一つ覚えに言い続けるせいで、梁山泊が招安派と反招安派で真っ二つに割れ、最終的に空中分解、北斗七星や林冲、李逵たちは死に、花和尚、花栄、穆弘など各地から集った好漢は別に山寨を持ち、項充一派は海外逃亡し、招安派は招安を受けて国の走狗となり江南の方臘の乱に投入され使い潰されて――という、北方水滸しか読んでいない方には「何じゃそりゃあ!?」なとんでもエンドを迎えます。
ある水滸系サイト様の記述によれば、宋江は「狡猾な愚者」とキャラ付けされているのだとか。まったく以ってその通りで笑えます。
何故かと言えば、こいつは作中で招安を受ける事について、こんな風に言っているのですよ。
「招安を受けて官吏になって厚禄を賜りたい。そのためにこいつらを使おう」
かなーり意訳してますが。
つまり新伝の宋江は、一から十まで徹頭徹尾、自分自身の栄耀栄華のために招安を求めるのですよ。そのために晁蓋が生きていた頃は曲がりなりにも一枚岩だった梁山泊の好漢たちの絆にひびを入れ、内部分裂を起こさせ、挙句の果てに北方・悲華・絵巻という三つの水滸の宋江さんなら絶対やらない事をやりやがったのです。
つまり、突っ走ったリッキーを見殺しにしたんですよこのクソ野郎。
そりゃあ花和尚でなくても「この好漢面したクズ野郎が!」と言いますって。
悲華の宋江さんも招安を願うんですけどね。悲華の宋江さんは動機がこのクソ野郎とは全然違います。
悲華の宋江さんは、一から十まで徹頭徹尾、自分の義兄弟たちのためなんですよ。
こんなにも素晴らしい私の義兄弟たちが、お天道様の下を大手を振って歩けないなんて、そのままにしておいていいはずがない――悲華の宋江さんは、この一年で梁山泊の罪を帳消しにすべく、招安を願うんですよ。
新伝の宋江、貴様は悲華の宋大兄の爪の垢でも煎じて飲みやがれ阿呆ー! 貴様のせいで林教頭は……呉軍師は……!
・花和尚
で、その和尚は林冲を死なせた宋江のいる梁山泊になんざいられねぇぜと二竜山組(楊志抜き)と小華山組を引き連れて二竜山に帰るんですが、その時呉軍師に、
「智多星と呼ばれるあんたがどうして宋江の本性を見抜けなかったんだ」
とか何とか責任を追及するんですが、そんな呉軍師を責めないでよ和尚。呉用先生可哀相じゃんか。
って言うか、皆が気前がいいだけの宋江を好漢を持ち上げていたんじゃないか。呉用先生だけのせいじゃないよぅ。
『水滸新伝』は水滸伝の欠陥を失くして創作されたものですが、もしこれに欠陥があるとするなら、好漢同士の繋がりを密にしようとしたがために血縁関係が原典以上に訳解らなくなってしまった点と、何人かの好漢の位置づけ変更の意図が解らず無意味に見えてしまう点、何より「宋江は何故中華全土的な知名度を持つ好漢とされるのか」を明確に説明できていない点でしょう。
その点を絡めて「宋江は好漢面したただの国の狗だ」というところを描けていたら、もっと面白かったと思うんだけどなぁ……。
ああでも武十回の玉蘭を楽和の嫁にした辺りのアレンジはちょっと好きです。でも楽大娘子お姉様を削除した点については小一時間ほど苦情を申し上げたい。
あと個人的には、「結婚しない女性好漢」が一人くらいいても良かったと思う。うん。
でも何だかんだで結構面白かったよ『水滸新伝』。
しかしこれを読むと『悲華水滸伝』のぬるい一枚岩っぷりが懐かしくなる。また読もうかなぁ、悲華。
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