更新履歴、拍手の返信、時に明星について鬱陶しいほど語ってみる
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昨日に引き続き、中国の名前についてウダウダ語ってみる。
しかし今日は趣向がちょっと違う。今日は明星、北方、原典、絵巻その他に共通する話題として、某キャラの名前について考える。
最近ドップリハマって抜け出せないツイッターにて、某C様よりこんなオーダーがありました。
「呉用の名前ってどうなんですか?」
……ほほぅ、呉用先生ですか。
呉用先生の名前考察はあちこちの水滸系考察サイトさんで為されているのですが、面白い、簾屋風の考察をいっちょブチかましてみせましょう!
というわけで、下記リンクテキストから明星に関係あるのかないのか分からないちょっと微妙な考察だよ! 気になっちゃったあなたはレッツ・クリック!
しかし今日は趣向がちょっと違う。今日は明星、北方、原典、絵巻その他に共通する話題として、某キャラの名前について考える。
最近ドップリハマって抜け出せないツイッターにて、某C様よりこんなオーダーがありました。
「呉用の名前ってどうなんですか?」
……ほほぅ、呉用先生ですか。
呉用先生の名前考察はあちこちの水滸系考察サイトさんで為されているのですが、面白い、簾屋風の考察をいっちょブチかましてみせましょう!
というわけで、下記リンクテキストから明星に関係あるのかないのか分からないちょっと微妙な考察だよ! 気になっちゃったあなたはレッツ・クリック!
ではまず、呉用先生の名前データから行こう。
姓:呉
名:用
字:学究
号:加亮
まず昔の中国では、他人の本名を呼ぶ事は失礼な事とされていた。では友人知人を何と呼べばいいのか?
それが字(あざな)。名とは別の、一種の通称である。
旧中国では名よりも字の方が使われていたようだ。家族以外は名を呼べないとなったら、そりゃまあ通称の方が使われるというものだ。
号は、字よりも趣味に走った通称らしい。一種のペンネームみたいなものか、という私の解釈は間違っているんだかどうなんだか。
では、呉用の字と号の意味について考えてみたい。
字の「学究」。読んで字のごとく、「学が究まる」のか「額を究める」のか、どちらにしろ勉学ですごい才能を持っていそうなことがよく解り、実に『智多星』らしい。
号の「加亮」。この「亮」とは日本では水滸伝よりもお馴染みの三国志に出てくる、天才すぎて嘘臭い軍師・諸葛亮の事である。「亮に加える」というのは、いわば「諸葛亮に勝っている」と言っているようなものだ。
この字と号を自分でつけたのなら、呉用は己の頭脳に傲慢なほどの自信を持っていた事になる。
しかしこの二つが他人に付けられたものなら、呉用の頭脳は周囲に認められていたという事だろう。
号はともかく、字については確か親とかに貰うものだった、と思う。残念ながらこれを書いている現在手元にある資料にその答えが載っていない。何てこった。教えて、偉い人。
さて、では本日の本丸、名の「用」についてである。
実を言うとこれに関する私の意見は、C様がブログでやっていらしたお話や色々な水滸考察サイトさんとほぼ同じである。
すなわち、「呉用=無用」。呉用と無用は、中国語としての発音がとてもよく似ている。
大体の水滸考察サイトさんにおいては、この姓名と字・号について、「呉用という人物の特性を対比の形で表わしたもの」とかそんな感じで「作者側の命名の都合」を分析していらっしゃったが(確か、そんなのを読んだ……気がします)、ここで語らなければならないのはその名の持つ意味であり、彼の両親が我が子にそんな名をつけた思惑についてである。
これに関しては絵巻水滸サイトの「謙遜による自称」説やC様の「逆説的な親の願い」説で結構納得していたのだが、「どうなんですか」と改めて問われてふと思った。
「C様がブログに上げられてたお話の通りだと思います」
――という凡庸すぎる回答でいいのか? っていうか求められているのはそんな回答か?
否! そんな安い答えは私のこの好事家系物書き脳が許さない! きっちり自分なりの妄想を提示せねば!
で、思い出したのは参考資料にしている本にあったこんな記述。
『魔除けとして、わざと悪い意味の名前をつける事もあった』
……ほほぅ(ニヤリ)。
では一つ、妄想小話をぶちまけてみましょうか。
字を貰えたんだ、と俺の大親友は嬉しそうに言った。
「へー。何てぇんだ、呉用?」
「その名で呼ばないでくれるかな、晁蓋。これから僕の事は『学究』と呼んでくれ」
「じゃ、俺の事もちゃんと『天巡』って呼べよ」
「そんな捻りが利いてるんだか利いてないんだか判らない字は君じゃあない」
「じゃ、『学究』なんてお前じゃねぇよ、呉用」
と俺が言い返すと、呉用は得意げな笑顔を消してギュッと唇を噛み、黙り込んじまった。
癇癪を起こすか、と身構える俺の前で、呉用はボソリと、
「――……僕は」
こう、言った。
「『無用』じゃ、ない」
知ってる。
そんな事ぁ、他の誰よりこの俺がよぉく知ってる。
けど、俺は同時に別の事も知ってる。
こいつの親が「用」なんて名前をつけた、本当の意味を。
あれは少し前の事だ。
俺の親父と呉用の親父さんが話しているのを、俺はたまたま聞いちまった。
その前にちょっとだけ呉用の事を話させてくれ。
呉用は生まれてすぐに「神童」なんて呼ばれ始めた。
嘘かホントか、呉用は生まれて一月くらいの時に親父さんの四書五経を「読んで」いたらしい。しかもやけに上機嫌に笑ってた――ってか、何かウケてたらしいんだ。
四書五経なんて俺にしたらチリ紙同然で、実際破って鼻水かんだら親父の拳骨を喰らったんだが、とにかくそんな事に何かを感じたらしい呉用の親父さんは、自分の息子に「用」って幼名をつけた。
幼名だから俺も他のガキどもも「阿用」なんて呼んでたけど、姓が「呉」だ。からかう奴はどうしたっている。
そういう連中は俺が片っ端から張り倒して呉用に謝らせてきたけど――やっぱり、呉用は自分の名前が好きじゃなかった。
だから呉用はちゃんとした名前がもらえる日を楽しみにしていた。が、そのちゃんとした名前がまさかの「用」で幼名続投。さすがの俺もそりゃねぇよおっちゃん、って思った。
で、これがうちの親父も同意見だったらしい。親父は呉用の親父さんを呼び出してその辺りの事を問い質した。俺が聞いちまったのはその話だ。
呉用の親父さんは、こう言ってた。
――あの名はね、戒めなんだ。
――用は賢すぎる。聡明すぎる。おそらく、呉家が今まで輩出してきたどんな天才たちよりも。
――そしてあの子は気弱で、真っ直ぐで、優しい。
――君になら説明しなくても解るだろう。腐りつつあるこの国で、それがどれだけ致命的か。
――あの聡明さが、いつかあの子を殺す。私は……それが、怖い。
学びたくば究みまで学べ。
しかし、無用の人であれ。
それが、呉用の親父さんの願い。
そんな願いをこいつが気付いてねぇはずがねぇ。
でもこいつは頑なだった。
その理由も、俺は知ってる。
「――晁蓋、僕は」
「おう」
「何かを、したいんだ」
それきり口を閉ざしちまった呉用の方をポンと叩いて、俺はらしくもなく溜め息を吐いた。
何かを、したい。漠然としすぎた呉用の願い。三つのガキでもポカンとするだろ。
でも、俺は笑わねぇ。
俺のダチの願いだからだ。
「安心しろよ、呉用」
「……え?」
「お前のしたい事、俺がさせてやるからよ」
そうだ、強くなろう。
こいつの賢さを、聡明さを、妬み利用し排除しようとする全ての悪意から、こいつを守れるように。
強く、なるんだ。
一応明星の晁蓋さんと呉用先生、おそらく十五歳かそれくらいの頃のお話。
というわけで、呉用の名に関する私の見解は、
「賢すぎる事への戒めの意味で、親があえて『無用』を想起させる名をつけた」
である。
呉用は恐ろしいほど賢くて四書五経の暗誦なんて六歳くらいの頃には出来るようになっていてどんな質問にも打てば響くように答えて、「この子はきっと状元(科挙首席合格者)になる」なんて期待されるほどだけど、それで「出る杭は打たれる」を恐れた両親が息子を増長させないためにそんな名前にした――とかだったら、主に私が激しく萌える。
そして晁蓋さんは、「じゃあ俺がそいつらから呉用を守ってやるよ!」とか考えてたら、やっぱり私が激しく萌える。
ちなみに晁蓋の字は創作です。散々頭を捻ってつけました。全く関係のない話だが、簾屋式の晁蓋君にも一応字はある。上記の字とは、もちろん全然違うものである。
簾屋式のは(色々事情があって)明かせないけれど、ここでの字が何故「天巡」か、その意味くらいは大雑把にだけど説明できる。良ければツイッターなり拍手なりで質問どうぞ。
では、長々と付き合いくださりありがとうございました。ご意見感想質問、ありましたら遠慮なくどうぞ。
※12/11追記
字についてですが、本日(12/11。この記事の記入からおおよそ二十時間後)新たな事実が判明したので書きます。
上記で「字は誰がつけるの?」と疑問をぶちまけておりましたが、田中芳樹『紅塵』にてそれが判明しました。本文P185にて、
「名は親からもらう物だが、字は成人の証として自らつけるものである。」
とありました。
……おおぅ、何てこったorz
つまり呉用先生は「学究」という字をやっぱり己でつけたものであり、それは呉用先生のとんでもない自信の表われという事にならないだろうか。
というわけで、妄想修正。
まず晁蓋さんについて。晁蓋さんは自分の字が思いつかなかったから、呉用父に外注した。そしたら呉用父がちょっと捻った字をつけてくれた。これで行こう。
で、呉用先生の方だが…………………………………………うん、これも呉用父がつけた事にしてしまえばいいや☆ ただしこれは外注ではなく字をつける権利を息子から奪った、的な感じで。
わざわざこういう風にしているのには、一応理由があります。
同じく田中芳樹の作品、こちらは編訳の『岳飛伝』に、岳飛の名と字は生まれてすぐに父親によって決められていた、というような記述がありました。『岳飛伝』は元々講談から生まれた話。となると字は本人がつけるだけでなく他人がつけるパターンもあったんじゃないか、と素人考えをしました。
だからこのパターンで、呉用父が呉用の字を決めた、というのもあり……ですよね? ですよね!?
教えて、そして助けて偉い人!
○参考資料
21世紀研究会編『人名の世界地図』、文藝春秋、2001
姓:呉
名:用
字:学究
号:加亮
まず昔の中国では、他人の本名を呼ぶ事は失礼な事とされていた。では友人知人を何と呼べばいいのか?
それが字(あざな)。名とは別の、一種の通称である。
旧中国では名よりも字の方が使われていたようだ。家族以外は名を呼べないとなったら、そりゃまあ通称の方が使われるというものだ。
号は、字よりも趣味に走った通称らしい。一種のペンネームみたいなものか、という私の解釈は間違っているんだかどうなんだか。
では、呉用の字と号の意味について考えてみたい。
字の「学究」。読んで字のごとく、「学が究まる」のか「額を究める」のか、どちらにしろ勉学ですごい才能を持っていそうなことがよく解り、実に『智多星』らしい。
号の「加亮」。この「亮」とは日本では水滸伝よりもお馴染みの三国志に出てくる、天才すぎて嘘臭い軍師・諸葛亮の事である。「亮に加える」というのは、いわば「諸葛亮に勝っている」と言っているようなものだ。
この字と号を自分でつけたのなら、呉用は己の頭脳に傲慢なほどの自信を持っていた事になる。
しかしこの二つが他人に付けられたものなら、呉用の頭脳は周囲に認められていたという事だろう。
号はともかく、字については確か親とかに貰うものだった、と思う。残念ながらこれを書いている現在手元にある資料にその答えが載っていない。何てこった。教えて、偉い人。
さて、では本日の本丸、名の「用」についてである。
実を言うとこれに関する私の意見は、C様がブログでやっていらしたお話や色々な水滸考察サイトさんとほぼ同じである。
すなわち、「呉用=無用」。呉用と無用は、中国語としての発音がとてもよく似ている。
大体の水滸考察サイトさんにおいては、この姓名と字・号について、「呉用という人物の特性を対比の形で表わしたもの」とかそんな感じで「作者側の命名の都合」を分析していらっしゃったが(確か、そんなのを読んだ……気がします)、ここで語らなければならないのはその名の持つ意味であり、彼の両親が我が子にそんな名をつけた思惑についてである。
これに関しては絵巻水滸サイトの「謙遜による自称」説やC様の「逆説的な親の願い」説で結構納得していたのだが、「どうなんですか」と改めて問われてふと思った。
「C様がブログに上げられてたお話の通りだと思います」
――という凡庸すぎる回答でいいのか? っていうか求められているのはそんな回答か?
否! そんな安い答えは私のこの好事家系物書き脳が許さない! きっちり自分なりの妄想を提示せねば!
で、思い出したのは参考資料にしている本にあったこんな記述。
『魔除けとして、わざと悪い意味の名前をつける事もあった』
……ほほぅ(ニヤリ)。
では一つ、妄想小話をぶちまけてみましょうか。
§
字を貰えたんだ、と俺の大親友は嬉しそうに言った。
「へー。何てぇんだ、呉用?」
「その名で呼ばないでくれるかな、晁蓋。これから僕の事は『学究』と呼んでくれ」
「じゃ、俺の事もちゃんと『天巡』って呼べよ」
「そんな捻りが利いてるんだか利いてないんだか判らない字は君じゃあない」
「じゃ、『学究』なんてお前じゃねぇよ、呉用」
と俺が言い返すと、呉用は得意げな笑顔を消してギュッと唇を噛み、黙り込んじまった。
癇癪を起こすか、と身構える俺の前で、呉用はボソリと、
「――……僕は」
こう、言った。
「『無用』じゃ、ない」
知ってる。
そんな事ぁ、他の誰よりこの俺がよぉく知ってる。
けど、俺は同時に別の事も知ってる。
こいつの親が「用」なんて名前をつけた、本当の意味を。
あれは少し前の事だ。
俺の親父と呉用の親父さんが話しているのを、俺はたまたま聞いちまった。
その前にちょっとだけ呉用の事を話させてくれ。
呉用は生まれてすぐに「神童」なんて呼ばれ始めた。
嘘かホントか、呉用は生まれて一月くらいの時に親父さんの四書五経を「読んで」いたらしい。しかもやけに上機嫌に笑ってた――ってか、何かウケてたらしいんだ。
四書五経なんて俺にしたらチリ紙同然で、実際破って鼻水かんだら親父の拳骨を喰らったんだが、とにかくそんな事に何かを感じたらしい呉用の親父さんは、自分の息子に「用」って幼名をつけた。
幼名だから俺も他のガキどもも「阿用」なんて呼んでたけど、姓が「呉」だ。からかう奴はどうしたっている。
そういう連中は俺が片っ端から張り倒して呉用に謝らせてきたけど――やっぱり、呉用は自分の名前が好きじゃなかった。
だから呉用はちゃんとした名前がもらえる日を楽しみにしていた。が、そのちゃんとした名前がまさかの「用」で幼名続投。さすがの俺もそりゃねぇよおっちゃん、って思った。
で、これがうちの親父も同意見だったらしい。親父は呉用の親父さんを呼び出してその辺りの事を問い質した。俺が聞いちまったのはその話だ。
呉用の親父さんは、こう言ってた。
――あの名はね、戒めなんだ。
――用は賢すぎる。聡明すぎる。おそらく、呉家が今まで輩出してきたどんな天才たちよりも。
――そしてあの子は気弱で、真っ直ぐで、優しい。
――君になら説明しなくても解るだろう。腐りつつあるこの国で、それがどれだけ致命的か。
――あの聡明さが、いつかあの子を殺す。私は……それが、怖い。
学びたくば究みまで学べ。
しかし、無用の人であれ。
それが、呉用の親父さんの願い。
そんな願いをこいつが気付いてねぇはずがねぇ。
でもこいつは頑なだった。
その理由も、俺は知ってる。
「――晁蓋、僕は」
「おう」
「何かを、したいんだ」
それきり口を閉ざしちまった呉用の方をポンと叩いて、俺はらしくもなく溜め息を吐いた。
何かを、したい。漠然としすぎた呉用の願い。三つのガキでもポカンとするだろ。
でも、俺は笑わねぇ。
俺のダチの願いだからだ。
「安心しろよ、呉用」
「……え?」
「お前のしたい事、俺がさせてやるからよ」
そうだ、強くなろう。
こいつの賢さを、聡明さを、妬み利用し排除しようとする全ての悪意から、こいつを守れるように。
強く、なるんだ。
§
一応明星の晁蓋さんと呉用先生、おそらく十五歳かそれくらいの頃のお話。
というわけで、呉用の名に関する私の見解は、
「賢すぎる事への戒めの意味で、親があえて『無用』を想起させる名をつけた」
である。
呉用は恐ろしいほど賢くて四書五経の暗誦なんて六歳くらいの頃には出来るようになっていてどんな質問にも打てば響くように答えて、「この子はきっと状元(科挙首席合格者)になる」なんて期待されるほどだけど、それで「出る杭は打たれる」を恐れた両親が息子を増長させないためにそんな名前にした――とかだったら、主に私が激しく萌える。
そして晁蓋さんは、「じゃあ俺がそいつらから呉用を守ってやるよ!」とか考えてたら、やっぱり私が激しく萌える。
ちなみに晁蓋の字は創作です。散々頭を捻ってつけました。全く関係のない話だが、簾屋式の晁蓋君にも一応字はある。上記の字とは、もちろん全然違うものである。
簾屋式のは(色々事情があって)明かせないけれど、ここでの字が何故「天巡」か、その意味くらいは大雑把にだけど説明できる。良ければツイッターなり拍手なりで質問どうぞ。
では、長々と付き合いくださりありがとうございました。ご意見感想質問、ありましたら遠慮なくどうぞ。
※12/11追記
字についてですが、本日(12/11。この記事の記入からおおよそ二十時間後)新たな事実が判明したので書きます。
上記で「字は誰がつけるの?」と疑問をぶちまけておりましたが、田中芳樹『紅塵』にてそれが判明しました。本文P185にて、
「名は親からもらう物だが、字は成人の証として自らつけるものである。」
とありました。
……おおぅ、何てこったorz
つまり呉用先生は「学究」という字をやっぱり己でつけたものであり、それは呉用先生のとんでもない自信の表われという事にならないだろうか。
というわけで、妄想修正。
まず晁蓋さんについて。晁蓋さんは自分の字が思いつかなかったから、呉用父に外注した。そしたら呉用父がちょっと捻った字をつけてくれた。これで行こう。
で、呉用先生の方だが…………………………………………うん、これも呉用父がつけた事にしてしまえばいいや☆ ただしこれは外注ではなく字をつける権利を息子から奪った、的な感じで。
わざわざこういう風にしているのには、一応理由があります。
同じく田中芳樹の作品、こちらは編訳の『岳飛伝』に、岳飛の名と字は生まれてすぐに父親によって決められていた、というような記述がありました。『岳飛伝』は元々講談から生まれた話。となると字は本人がつけるだけでなく他人がつけるパターンもあったんじゃないか、と素人考えをしました。
だからこのパターンで、呉用父が呉用の字を決めた、というのもあり……ですよね? ですよね!?
教えて、そして助けて偉い人!
○参考資料
21世紀研究会編『人名の世界地図』、文藝春秋、2001
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