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更新履歴、拍手の返信、時に明星について鬱陶しいほど語ってみる
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 明星サイトなのに戴宗誕にちっとも手をつけないで創作水滸のお話『夢見たっていいじゃない』の第三話投下行くよー。
 よろしい一番良い第三話を、という好漢な方は下記リンクテキストよりどうぞ!


‐3‐




 身売り証文が焼かれてから、つまりあたしが「宋江様の妾」から「縁談を待つ嫁入り前の娘」になってから、おっ母さんは色々複雑そうだった。
「お前が嫁入り、なんてねぇ……。それも、相手が宋の旦那、って……」
「何よおっ母さん。不満でもあるの?」
「そういうわけじゃあないさ。でもさ、婆惜、お前が嫁に行っちまったら、おっ母さんはどうすればいいんだい?」
 さすがおっ母さんである。
 懐の寂しい男の元に娘が嫁ぐ――それで心配するのは娘の今後の生活ではなく、自分のこれから。実におっ母さんらしい。
 けど正直そんな心配には付き合っていられないので、あたしはサラッと言い返す。
「じゃあ、いっそ再婚すれば?」
「え?」
「張三といい仲なんでしょ? ちょうどいいじゃない、張三だって奥さんいないんだし」
「なっ、お前、何言ってんだい! おっ母さんが今いくつだと――」
「大丈夫大丈夫、おっ母さんまだ若いし綺麗なんだし、張三なんか簡単に落とせるわよ」
「……そ、そう?」
 あたしの適当な言葉に、おっ母さんはあっさり乗せられた。我が母親ながらチョロい。
 適当な言葉。しかし同時に本心でもある。おっ母さんはまだ十分通用する。嫁入りする娘にくっついて後家暮らしするより、誰かいい人を見つけて再婚した方がよっぽどいい。お互いのために。
 そして張三は、宋江様と違って付け届けをふんだくる男だ。結婚できれば、おっ母さんは優雅な生活を送れる事だろう。
 あたしの言葉に後押しされたおっ母さんのそれからは、まるで娘のようだった。仲人の訪れを待つあたしのように、張三が次にやってくるのをウキウキと待った。



 それから何日かして、張三が憚る事なくこの家にやってきた。
 夕暮れに近い刻限だった。あたしはこの時、二階の自分の部屋でお針の練習がてらに衫を仕立てていた。宋江様の奥さんになるのだから、自分の着る物くらい自分で仕立てられないといけない。
 まだまだ汚い縫い目に肩を落とし、今日はこれくらいで切り上げようかと針を置いた時に、張三の遠慮のないおとないの声が聞こえた。続けておっ母さんの弾んだ応え。家の戸が開けられ、張三が中に招き入れられる。そういう音が床越しに聞こえてきた。
 お針の道具を片付けながら、あたしは張三を義理の父と仰ぐ未来について思いを馳せる。――……正直、あんまり歓迎したくないわね。でも、ま、それであたしの事なんかほったらかして二人でよろしくやってくれる、ってんなら万々歳、文句はないわ。
 おっ母さんが張三を説き伏せて再婚に持ち込む未来に、あたしは何の疑いも持っていなかった。張三はあたしに色んな物をくれたし、色目も使ってきたけど、おっ母さんにのめり込んでる。あたしが宋江様との結婚を控えてると知ったら、そのままおっ母さんに落ち着いてくれるだろう。

 だから――階下からの声が妙な調子になってきたのに、あれ、と思った。

 おっ母さんの声音が懇願のそれに変わっていた。声がそんなに大きくないから、何を言っているのか、まではちゃんと聞こえない。一方張三の声はほとんど聞き取れない。耳をすませて眉をひそめるあたし。まさか、張三がおっ母さんを捨てる? ちょっとちょっと、何よそれ。
 下の様子を窺おうとちゃんと畳もうとした縫いかけの衫を卓の上に放り出し、椅子から立ち上がったあたしの耳に――ガシャンッ、と陶器の砕ける音が届く。待って、やめて、お願い、というおっ母さんの必死な声も。
 そして、ひっ……という声がしたと思ったら、


 ――――…………ドサッ。


 あたしは全身の毛が逆立つのを感じた。
 戦慄、というのはこういう事を言うのだろう。嫌な予感が胸の中で雨雲のようにムクムクと膨らんで、呼吸する度に口から出ていってしまいそうだ。
 そして出ていった「嫌な予感」が現実のものとなるような気がして、あたしはとっさに息を詰める。
 怖い。
 何だか知らないけど、すごく、怖い。
 気が付けばあたしはガタガタと震えていた。このまま何も気付かなかった事にして布団にもぐり、眠ってしまいたかった。
 でも、下で何が起こったのか、知らないままでいる事の方が怖い気がした。
 確かめたかった。
 確かめて、安心したかった。
 そうだ、きっとあれだ、おっ母さんの必死なお願いに張三が負けて、その場で押し倒して。で、今頃床でくんずほぐれつ――って寸法だ。
 そうよ。
 きっとそう。そうに違いない。
 だから、大丈夫。
 きっと、大丈夫……――
 あたしは自分に言い聞かせ、しかし息を詰めたまま足音を忍ばせ、そぅっと部屋を出る。これは、そう、よろしくやってるおっ母さんたちを邪魔しちゃ悪いからだ。それだけだ。うん、それだけ。
 床をきしませないよう気をつけながらそっと廊下を歩き、階段の手すりと床と壁に身を隠しながら、体を縮こまらせて気配を殺して一段、二段と降りる。
 一階が、見えた。
 卓から落ちて飛び散った今日の晩御飯のおかずと、安物の陶器の皿の欠片。
 引っくり返った瓶子とこぼれたお酒。
 仰向けになったおっ母さん。床に扇状に広がった豊かな黒髪、色鮮やかな裙子の裳裾。
 あたしの方、つまり階段に背を向けておっ母さんの傍で立ち尽くす、青い袍姿の男。肩が少し上下している。
 その右手が、赤い。

 ――血。

 右手に持っているのは、匕首。

 悲しそうに恨めしそうに目を見開いて天井を睨みつけているおっ母さん。だがその目は虚ろだ。いや、表情に生気がない。白粉を塗りたくっているのを含めて考えても、顔色が異様に白い。白すぎる。見た事のある顔色。ああそうだ、お父っつぁんの死に顔――
 おっ母さんの胸元が、真っ赤に染まっていた。そこから溢れ出た血が床に流れて広がって、どんどん広がって、男の足先も濡らして、そんなに血を流したら死んじゃうよおっ母さん――


 死。


「――ひっ」
 全てを理解したあたしは小さく悲鳴を上げていた。

 死。
 死んだ。
 死んだ。
 おっ母さん。
 ――殺された!

 死んだおっ母さんの傍に立つ男が、あたしの悲鳴に気付いてこちらを振り返る。
 場違い感満点の落ち着き払った笑み。
 返り血が頬に飛び散る、甘く整った顔。
 そいつはあたしを認めると、口元の笑みを深めて、まるで恋人に愛でも囁くかのように……甘い声を、紡いだのだ。


「やぁ、婆惜」


 張三。
 張文遠。
 殺した。
 こいつが。
 張文遠が――――おっ母さんを、殺した!

「――っ!」
 あたしの恐怖と混乱が爆発した。
 張文遠が僅かに身じろぎしたと同時に階段を駆け上がった。腰が抜けてなかった自分を褒めてあげたい。でもそれは後回しだ。今は――張文遠から、少しでも離れなきゃ! 
 裙子の裾を持ち上げてあたしは走った。逃げた。足がもつれて転びそうになりながら、何とか自分の部屋に駆け込んで戸を閉める。でもこれじゃあ駄目だ。すぐに開けられてしまう。鍵なんて上等なものはついてないし、入られてしまったら袋の鼠という奴だ。どうしよう。どうやって入れなくしよう。こうしている間にも、トン、トン、トン……――張文遠が、来る。
 怖い。
 怖い、怖い、怖い!
 何でこんな事になった?
 どうして張文遠はおっ母さんを殺した?
 分からない。あいつが何を考えてるのかなんて、あたしにはこれっぽっちも分からない!
 あたしも殺されるの?
 それとも、力ずくで物にされるの?
 そんなの、どっちも嫌だ!
 どうしよう、どうしようとあたしは扉にすがったまま考える。張文遠の足取りはやけにゆっくりだ。まるで追い詰めた鼠をなぶる猫みたい。でも、トン、トン、トン……階段を上がり終えた。廊下を、この部屋に向かってゆっくりと、あたしの恐怖をあおるようにやたらとゆっくりと歩いてくる。
 どうしよう。どうしよう。
 何かないか。あたしは取っ手を押さえたまま部屋の中を見回す。
 ――何もない。閂代わりの物を見繕うにしても、この取っ手は閂をかけられる形じゃない。向こうからこちらに押し開ける形だから、戸の前に卓や鏡台を置けば何とかなる。でも移動させる時間がもうない。だって、トン、トン、トン……――部屋の前で、足音が。

「――婆惜」

 戸の向こうから張文遠の声。

「ここを開けておくれ、婆惜」

 親しげで、優しくて、甘えるようで、少し困った用で。拗ねた恋人のご機嫌を取っている声みたいだ。
 吐き気がする。
 おぞましい。
 あたしのおっ母さんを殺したすぐあとで……こんな声を、平然と出すなんて。
 混乱しながらも、あたしは自分自身を戸の重りにする事にした。足を踏ん張り、自分の体をつっかえ棒のようにして、戸に全体重をかける。その直後、ギシ、ギシギシと戸が軋む音が響き、こちらへ押し開けようとする圧力を感じる。あたしは歯を食い縛って懸命に足に力を込める。
「なぁ、婆惜……意地悪をしないで、入れておくれ」
「っ――お断りよっ!」
 思わず怒鳴り返していた。そうでもしないと、怖さに押し流されて、ただ悲鳴を上げてしまいそうだったから。
 しかし扉の向こうからの声は尚も甘く、
「そんな事を言わないで、頼むよ婆惜……」
「馴れ馴れしく呼ばないでよっ! あたしのおっ母さんを、殺したくせにっ!」
 感情のままに叫び返したあたしの耳に――
 信じられない言葉が、飛び込んできた。

「だって、しょうがないだろう?」

 甘く。
 優しく。
 愛を囁くように。


「気持ち悪かったんだから」


「…………っ!」
 込み上げてきたのは、これまでで一番の吐き気。
 全身に鳥肌が立つほどのおぞましさ。
 怖いとか憎いとか、そんな分かりやすい感情を超越して、あたしはただ虚を衝かれて呆然とする。
 その一瞬の隙を、突かれた。

 ――ドンッ!

「きゃあっ!」
 弾かれるように突然開いた扉に、呆然としていたあたしは為す術もなく弾き飛ばされた。張文遠が体当たりをして無理矢理こじ開けたのだ。その勢いのままに床に転がったあたしは、打った部分の痛みに呻く暇があればこそ、低くなった視界に入る血のついた履にハッと顔を上げざるを得なかった。
 血の滴る匕首を引っ提げ、袍の前面を血で汚して、
「やっと入れてくれたね、婆惜」
 張文遠が、恐ろしいほど朗らかに笑っていた。

§


 この婆惜ちゃんも気に入っているけど、この張文遠も結構気に入ってたりする。歪んだキャラって好きなんだ。
 解説めいた後書きは第四話の後書きに持ち越すけれど、その第四話の投下がもしかしたら延期になるかも。ご了承あれ。

 閻婆惜が微笑む張文遠と対峙する事により匕首閃き一人の丈夫が出奔となるのだが、さてそれは如何なる経緯か。それは次回で。
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