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更新履歴、拍手の返信、時に明星について鬱陶しいほど語ってみる
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 ちょっと探してみたけれど何か上手い事見つけられず、まあいいや発売日を待とう、それよりも二月四日の更新をどうするかだ『楊令伝』を色眼鏡つきで読んでニヤニヤしてる場合じゃねぇ! と頭を抱えている簾屋ですこんばんは。
 更新物はこれから書きます。せめて戴翠一本は上げたい。そして願わくば晁蓋さんと宋江さんの腹の探りあい話を書きたい。
 まあそれはそれとして、ダラダラグダグダどうでも良い話を語ります。高校の教科書レベルの歴史の話です。それと絡めた『水滸伝』もしくは明星の話です。

 結論から言っとくと。
『水滸伝』という物語を題材にしている段階で、ハッピーエンドは難しいよね!

 まあ、そんな感じで、簾屋のえっらそうな知識のひけらかしを見てやろうじゃねぇか、という豪傑は下をクリック!







 さて、まずは史実。

 八代目宋帝・徽宗即位――1100年
 金国成立――1115年
 方臘の乱――1120~1121年
 同帝退位――1125年
 九代目宋帝・欽宗即位――1125年
 金による宋の滅亡――1127年
 南宋の成立、及び十代目宋帝・高宗即位――1127年

 ただいま高校時代に使用した世界史の便覧を見ながら書きました。これらが、原典・北方版を問わず『水滸伝』と名のつく物語の時代背景となる史実です。
 ここで一番大切なのは、方臘の乱です。何だそれ、ってか方臘って誰? とお思いの方も多いので、大雑把に説明。北宋末期に長江の更に南の方で起こった宗教反乱です。で、方臘はそのリーダーです。
 で、何故この乱が大切なのかというと、原典の最後の戦いはこの方臘の乱だからです。(明星や北方版しかご存知ない方はビックリするでしょうが)罪を許される「招安」の結果宋の手先となった宋江と愉快な仲間たち(梁山泊、とか言おうよ)は江南で起こった宗教反乱の鎮圧に駆り出されます。
 そして百八人の仲間の内、三分の二近くが戦病死という結果に。
 それまで多くの戦いで宿星の百八人からは一人の犠牲者も出なかったのに、方臘の乱になると、これがまあバッタバッタと死んでいく事死んでいく事。施耐庵先生、何か嫌な事でもありました? と思わず聞きたくなりますよねまったく。だって最終的にあの林冲も死ぬんですから。乱が終わった後、中風(脳卒中による麻痺)で死亡、ってなってるんですが。
 で、この乱が終わった後に徽宗は退位、欽宗が即位した二年後、北宋としての宋は終了。江南で高宗が即位して南宋として続行、けれど東京開封府や北京大名府などの主要都市が集まっていた北部は全部金に奪われ、結局奪回できないまま北から簾屋の大好きな元(と言うか、チンギス=ハンが好きなんですが)がやってきて南宋滅亡、という運びです。
 要するに、梁山泊に集った百八人が何をどうしようと宋滅亡は決まっていて、しかもそれは外敵侵入によるもの。そして、梁山泊のある北部の土地は最終的に金の統治下に置かれる、というわけでして。
 それでなくても百八人は1121年の方臘の乱をきっかけにおおよそ三分の一まで人数が減ります。そこから先、つまり金の進入に対してどうするのか、とか考えると何かもう暗くなってきませんか?
 で、そこを無茶苦茶やってハッピーエンドにしやがったのが陳忱の『水滸後伝』であり、その辺を上手く処理してドキドキハラハラなストーリーを展開しているのが北方謙三の『楊令伝』なのですが、それはまあ、さておいて。

 とにかく、これらの事を踏まえて、明星。
 物語開始が、1112年。
 我らが戴宗さんのトラウマの源流、洪信パパ死亡がこの十年前、1102年。
 洪信パパが七代宋王(始皇帝以来中国の君主は「皇帝」なんですがねぇ……)・哲宗を殺害した、という濡れ衣を着せられたのもこの時、つまり1102年。

 重箱の隅、その一――1100年徽宗即位、という史実を無視したのは何故ですか天野先生?
 重箱の隅、その二――徽宗が何歳なのか結局判らなかったので何とも言えないのですが、1112年の段階でやっぱり幼いんですか天野先生?

 とまあ、どうでも良い突っ込みは置いておいて。

 天野先生がどういう形でやるつもりだったかは分からないし、もう知りようもないのですが、『水滸伝』をやる以上、方臘の乱は避けられない強制イベント。
 それをどう描くつもりでいたのか、いやもう本気で気になるんですが(ちなみに北方謙三は、呉用先生の策略で梁山泊は乱にノータッチで無傷、という形に持っていきました。すげぇよ北方先生)――

 史実で行くなら、方臘の乱は明星開始年代から九年後。

 戴宗さん――25歳。
 翠蓮ちゃん――22歳。
 林冲さん――28歳。

 おぉぅ、こんな年齢で第一線で活躍するジャンプヒーローって、私にはせいぜい『こち亀』の両さんしか思いつかない!
 ねえ先生、天野洋一先生! 方臘の乱、本当にどうする気だったんですか!? ガチで史実通りの年代でやる気でした!? それとも捏造する気満々でした!? マジで読みたいんですけどー!

 ともかく、こんな死亡フラグの多いイベントを前にして、如何にジャンプに相応しいエンディングを描くつもりでいたのか。気になるなぁ。


 ……ここまで偉そうに書いておいて、ふと気付いて恐ろしくなった事。
 実は簾屋の持っている便覧の表記が間違っていて、最新の研究で徽宗の即位年代が変わっていたらどうしよう。

 そしてここまで色々書く途中で不意に妄想が働き、うっかり萌えてしまった事。

 徽宗即位年齢、三歳→明星開始時、十三歳
   ↓
 翠蓮ちゃんと同い年→どこかで翠蓮ちゃんを見て、見初める
   ↓
 高キュウにねだって連れてきてもらう
   ↓
 翠蓮ちゃんが拉致られ、戴宗さん激怒
   ↓
 その一方で翠蓮ちゃんは徽宗の孤独だとか自分の意思が通らない現状への絶望だとかを知ってしまい、憎めなくなる

 というストーリーラインをベースにした戴宗×翠蓮←徽宗、という、何か各所に土下座しなきゃいけないかもしれない三角関係を思いついてしまった簾屋はきっと阿呆だと思います。


 ……そういえば、徽宗が押さないとなると、李師師(開封府一番の芸妓。徽宗がすげぇ入れ込んでる)の扱いはどうなるんだろう。
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