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更新履歴、拍手の返信、時に明星について鬱陶しいほど語ってみる
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 先日Webアンソロ主催の由良様にブツを提出し、由良様より受領メールをいただいて何か色々肩の荷が下りた簾屋ですこんばんは。
 けれど簾屋の戦いはまだ終わらない……これから、戴宗誕用の小説を書かねばならないのだった……!
 さぁーて、こっちはもうテキストファイルに直接ダカダカ打って書かねば。先に手書きをやっている場合じゃなくなった。


 で、以下、簾屋のアンソロ中編を書き終えてからのとっても困った話。
 簾屋は困っていますが他の肩は誰も困らない、というお話。よろしければどうぞ。


 と、その前に。
 拍手、ありがとうございました!

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 簾屋にとって、小説を書く、という作業はタペストリーを織る作業にも似ています。
 タペストリーの絵柄はプロットです。糸は文字、色は言葉、織り方はさながら文章表現や文体。
 織るという作業そのものは字を書く、あるいは文章を書くという作業そのものに当たるでしょう。
 一つの文章を書く、いえ、もっと言えば一つの文字を書き記す。糸を選び、繰り、絡ませ、織っていくその作業は、最初の内こそ楽しくワクワクするものだけれど、時が経つにつれ――作業が進むにつれ、タペストリーが織られるにつれ、文章が書き進められるにつれ、始める当初からは予想もつかなかった苦労と苦難が待っていたりします。
 そしていつしか簾屋は叫びます。「もう嫌だ」「書きたくない」「疲れた」。
 しかし、それでも書きます。
 書いてしまいます。
 それは、小説を書くという事を人生の頼みに選んでしまった者の業。
 そんな事を、アイデンティティの第一義にしてしまった愚者に課された当然の罰。
 簾屋にとって、小説は最早書きたいもの、ではありません。
 書かなくてはならないものなのです――



 で、何があったか。
 続きはWebで――じゃない、下記よりどうぞ。


 拍手、ありがとうございました!

 こんばんは、つい先程知りたくて知りたくて仕方なかった事が概ね分かって地味にテンションが上がっている簾屋です。
 知りたくて知りたくて仕方がなくて、これが分からなかったが故にWebアンソロ用中編の執筆の手が止まったりしていたのですが、これで書ける――かな?
 とってもコアな話です。
 こんなの誰も気にしねーよ、という脳内突っ込みが調べている最中によく聞こえました。
 でもきっと何かしらの肥やしにはなるはずなので調べておきました。

 ちなみにその中身は、宋代の銀と銅銭の価値について、です。
 もっと具体的に言えば、銀一両は銅銭何枚? です。

 ああ、これですっきりした!




 
 拍手ありがとうございましたー!
 わぁ、素敵! 『百八星繚乱』! 簾屋もタイトルを考えてはいたんですが結局いいのが思い浮かばず、提案するのをやめていたんですが……うん、やめて良かった。
 そして執筆者様も順調に増えてらっしゃるようで、簾屋はワクワクドキドキが軽く止まりません! ああ、今から皆様の作品が楽しみだ……!

 そんなわけで出品用の中編をボチボチ書いているのですが、阮三兄弟の口調が分からなくて激しく困っております。
 最終的にその辺は全部気合いと捏造でごまかせ! ってなもんなんでしょうが、それにしても小二兄ぃの英単語の出方がいまいちよく掴みきれてません。そして小七ちゃん(ある創作水滸サイトさんの影響で、小七を「ちゃん」つけで呼びたくなります)の一人称は「僕」か「俺」かどっちですか洋一先生。うっかり「僕」にしたくなりますが、阮三兄弟の末っ子がそれでいいのか……!?
 あ、ちなみに例の件は「見なかった事に」でファイナルアンサー。それを前提にしてプロットを組んじまったから仕方ねぇさ。と言うか、もう一話目は半分書いちまったしね。
 自分締切(第一稿)は六月十五日。自サイト用の戴宗さん誕生中編も書かなきゃならんしね。


 ああそれにしても原典が欲しい。とにかく欲しい。
 駒田訳の百二十回本、筑摩書房刊の文庫八冊が欲しい。出来れば古本で欲しいけれど、古本でなければ新刊で注文してでも買う事を辞さない。
 それと平行して色んな作家さんの翻案が読みたい。はっきり言おう。北方水滸の続編・楊令伝はもううんざりだ! 何故かって? 話は簡単さ、読んでると色々泣きたくなるんだよ、どのキャラに対しても好感が中々持てない上に楊令伝からの新キャラの区別がまるでつかなくて! ぶっちゃけ今私が楊令伝を一生懸命読んでいるのは、水軍と李俊さん目当てだ! 李俊さん愛してます結婚してください(落ち着け)。
 話が逸れた。とにかく楊令伝は読んでて色々辛い。ラノベに慣れてキャラ萌えを志向する身としてはあの十把一からげで区別のつかない新人どもはマジで辛い。その点水軍は新人が少なくて水滸伝の時代から出張っている人たちばっかりだから、見ていて実に安心します。と言うか「李俊」という固有名詞が出るだけで萌え始める自分は相当末期だ。
 おっと話が逸れた。色んな作家さんの翻案だ。水滸伝スキーの間では色々物議を醸したらしい『悲華水滸伝』をまず読みたい。揃いも揃っていい男になってるらしいしね、一〇八人マイナス三人(孫二娘、扈三娘、顧大嫂ですよ。それにしても男女比が105:3って軽くあり得ない)。戴宗さんも二十代後半のキリッとした感じに描かれていた……と思った。ちゃんと読んだら感想をダラッと書くかも。
 でもって『絵巻水滸伝』も読みたい。絵巻水滸の李俊さんが面白い事になってるって本当ですか!?(また混江竜かお前) 美人の嫁がいたり実は記憶喪失だったり出自はシャムの王族とか、水滸後伝までやるんですかねあの作者様は! 李俊さんがそんな事になっていると言うだけで簾屋は激しく萌えるんですが地元の図書館に所蔵はなくて言えばよそから取り寄せてもらえるかなーと画策中ですよあははははは!
 それにしても……『ネリヤカナヤ』に李俊さんが出てくるのはいつの事か。あと戴宗さんとか。と言うか北斗七星に宋江さん! ろっちー(花和尚の事です)がいい男になっていた『ネリヤカナヤ』、今後どうなってくのかがマジで気になる!
 ちなみに自分で創作水滸をやりたいなーと思う人は余り翻案を読んじゃあいけない、とつくづく思う今日この頃。
 ……って、どうして私はこんな話をしているんだろう。
 公田法の施行は1116年だと……!?
 明星開始の四年後じゃねぇか! やべぇ今回の中編に使えねぇ!? そもそも使おうとしていた要素が加わったのが1122年、って私に喧嘩売ってるか中国史!(←落ち着け)

 というわけで気分はライフカード。
 手元の札は「歴史無視」「見なかった事に」「諦める」。
 どうする!? どうする私ー!?



 まあ、考えてみれば明星も北方水滸も割りと史実無視だから(明星は1112年当時の徽宗の年齢、北方水滸は韓世忠の嫁無視とか完顔阿骨打の息子の編成とか)、公田法の施行年とか拡大適用の実施年とか、無視してもいいんだろうけど……。
 そこはそれ、簾屋は変なところでこだわる好事家ですので。どうしたもんか。もうプロット三分の一くらい組んじゃったしなー。
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